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汎用人工知能と特化型人工知能
「人工知能」と聞けば、SFやマンガに出てくるような、人間と普通にしゃべることが出来るロボットを想像する人も多いと思います。
スターウォーズに登場するC-3PO wikipediaより拝借
ああいうまさに人間の知能を人工的に再現したような機械は汎用人工知能(artificial general intelligence 略してAGI)と呼ばれています。呼んではいるものの現状ではまだまだ作ることはできません。
現在市場に出ている、あるいは数年以内に世に出るであろう人工知能を謳う製品は全て特化型人工知能(narrow AI)と呼ばれているものです。
特化型人工知能とは、人間のような汎用的な(融通の利く)知能ではなく、特定の目的を遂行する為だけに作られたものを言います。
例えば、将棋を指す、クイズに答える、人間と会話によるコミュニケーションをとる、自動車を運転する、などなど。
その目的を遂行する際にまるで知能を持っているかのように賢く柔軟な対応ができる機械が特化型人工知能です。
ちなみに、ソフトバンクのPepper君をはじめ、人間とコミュニケーションを取ることを売りにしたロボットがいろいろありますが、それらはあくまで、言葉を理解しているように見えるにはどう振る舞えばいいかを突き詰めているだけであって、決して人間と同じように言葉を理解してコミュニケーションを取っているわけではありません。
また先日、AI女子高生として話題になったMicrosoftのLineアカウント「りんな」も同様に、コンピュータを相手に会話を楽しめるものですが、あくまで”なんちゃって知能”です。
参考噂のAI女子高生「りんな」とLINEしてみたらソッコーやらかされた件www
誤解なきように言いますと、自然言語を解析するというのは相当難しいタスク(特に日本語は!)なので、例え”なんちゃって”であってもとてつもない技術が使われており、製品化するところまでこぎつけた開発技術は決して”なんちゃって”ではありません。
そして例え”なんちゃって知能”であっても言葉を本当に理解していると感じるぐらいのレベルにまでその精度を高めることは原理上は可能だと言えます。この分野はかなり前から人工無脳と呼ばれる一つの研究分野でもあります。
ご存じのように、将棋やチェスに関しては、人工知能知能は人間の思考能力を超えたと言われています。
IBMが開発したワトソンは人間のクイズ王を倒しました。
人工知能が東大の入試に合格するのも時間の問題だとか。
最近の人工知能の発達は目覚ましいものがあります。
とは言えそれらは全て特化型人工知能です。どんなに将棋の打筋について深い思考を巡らせることは出来ても、将棋を指す以外のことは何一つ出来ません。
そのような特化型人工知能ではなく、ある意味本物の人工知能と言える、汎用人工知能は果たしてこの先作ることができるのでしょうか?
その可能性を探ってみましょう。
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汎用的な知能とは
私たち人間は汎用的な知能を持っています。天然ものです。
字も読めるし、会話も出来るし、計算も出来るし、リンゴを掴むことも出来るし、歩くことも出来るし、自転車も乗れるし、車も運転できます。
ただしここで言っているのは身体的なことではありません。歩くには当然足が要りますし、リンゴを掴むのもハンドルを握るのも手が必要ですが、そういう手や足といった出力装置の問題はまた別次元の話です。それらを正確に操ることが出来る知能についての話です。
挙げればキリがないですが、要するに融通が利いてだいたい何でも出来るのが汎用的な知能です。
何でも出来るとは言え、もちろん人によっては車を運転できない人もいます。将棋を指せない人もいるでしょう。なぜ出来ないかと言えば、やり方を知らないからです。やったことがないからです。
私たちの知能は、もともと何でも出来るのではなく、少しずついろんなことを経験し出来るようになります。
つまり知能の汎用性というものの本質は、学習能力にあると言えます。
何でも出来るのは、いろんなことを経験し学習した結果なんです。
私たちが日本語を読んだり話したりできるのは、小さい頃から日本語に触れて慣れ親しんできたからです。厳密には小さい頃に日本語に触れたからです。小さい頃の言語習得能力は驚異的です。
生まれたての脳は当然、歩き方も知りません。ふにゃふにゃと手足を動かしながら、まずは体を動かす方法を知り、寝返り、はいはい、掴まり立ちと言う風に少しずつ重力に抗って体を支える方法(及びそれに必要な筋力も)を獲得していきます。
少し余談になりますが、おそらく無重力空間で生まれ育った赤ちゃんは、歩き方を覚えないし、歩けるだけの筋力が育たないと思います。5歳ぐらいまでその環境で育ってしまうと、もう一生歩くことは出来ないのではないかと想像します。もしかしたら地上では生きていけないかも知れません。ただしこれは知能だけの問題ではなく、筋力や骨格などの身体的な成長の問題でもあります。
歩き方を覚えるには転ぶことも必要です。泳ぎ方を覚えるには溺れることも必要です。
トライ&エラーが学習能力の本質です。
例えば、野球の上手い人なら50mぐらいの距離なら標的に目がけて正確にボールを投げることができると思います(もちろん失敗することもありますが)。
面白いことに、どんなに正確にボールを投げられる人でも、どのぐらいの初速でどのぐらいの角度にボールを発射すれば、どんな放物線を描いて目的の場所に到達するのか計算して投げているわけではありません。
ニュートンの物理法則を知らなくても正確に思い通りの放物線を描いて目的地へ到達するボールを投げることが出来ます。逆に物理の方程式を解けるからと言って正確に投げれるものではありません。
なぜそんなことが出来るのかと言うと、幼いころから何度も何度もボールを投げることで、どのぐらいの力加減でどのぐらいの角度で投げればどんなボールが飛んでいくのかを経験として知っているからです。
逆に、もし目標地点へボールを飛ばす機械を作ろうと思えば、目標地点までの距離とボールの質量からニュートンの方程式で逆算することで得られた初速と射出角度に従って、ボールを発射するような仕組みにならざるを得ません。
結果的に同じことが出来てもアプローチの仕方は全く違います。
「経験から学ぶことが出来る」というのが汎用的な知能の本質を支えている一面だと言えます。
もう一つ、汎用的な知能の本質と言えることがあります。
それは外界から入力された情報から、意味のある単位を抽出し認識する能力です。
一般化する能力とも言えます。一般化するというのは簡単に言うと、石ころを見てそれが石ころであることを認識できる能力です。
石ころというのは一つとして全く同じ形・色のものはありません。それでも私たちは、それらが同じような性質を持つ物体(同じ物)であることを認識することが出来ます。
なぜそれが知能の本質と言えるかというと、一般化する機能は言語を理解する為には必須の能力だからです。
「石ころ」という言葉(記号)が何を指すのかを理解するには、まず先に「石ころ」の概念を知る必要があります。
概念とはデータではありません。経験から自ら構築した、言わばイメージです。
視覚や触覚から入力される雑多な情報の中から、物体を認識→一般化し、記号前概念を獲得する能力がなければ、決して言語を理解することはできません。
石ころに「石ころ」と名付け、木に「木」と名付けることが出来るからこそ、私たちは様々な概念・言語を脳内に構築し、高度で論理的な思考を巡らせることが出来ます。
そして、言語・文字を理解する上で欠かせないのが、文字列を見て、それが文字であることを認識する能力です。「あ」という形(線)が「あ」という文字であることを認識できるからこそ文字を使うことが出来ます。
それはもちろんPCの文字コードのようなデジタル情報としてではなく、映像としての文字を読む能力です。
私たちはどんな下手な字であってもだいたいは読むことが出来ますが、機械にとって手書きの文字を認識するのは非常に難しいことです。それどころか、そこに文字が書いてあることを認識するのがまず難しいことです。
そうやって外界にある物体を認識し、そこに記号を当てはめることが論理的思考の土台と言えます。
その土台を築くためには、外界から意味のある単位を抽出して認識する能力が必要不可欠です。
まとめると、汎用的な知能の本質とは、学習能力とそれを支える認識能力にあると言えると思います。
汎用人工知能を作るには?
ここ数年、人間のような汎用性を持った人工知能の完成に向けた研究が活発になってきています。
とは言え、冒頭にも言ったようにまだまだその実現への道のりは遠いです。まだまだその道ははっきり見えていません。
一つ言えることは、今世間を賑わしている特化型人工知能をいくら積み重ねても汎用人工知能にはならないということです。
例え、将棋が指せて、どんなクイズにでも答えられて、言葉を分かったフリが出来て、自動車を運転できるような人工知能が出来たとしても、それは汎用性があるとは言えません。あくまでそれはいろんなことに対応できる特化型人工知能です。
いわば万能特化型人工知能です。
もし特化型人工知能を可能な限り積み重ねて文字通り「万能」にすることができれば、見かけ上は汎用人工知能に見えるかも知れません。
それも一つのアプローチ方法だと言えなくもないですが、しかしそれは人工無脳(なんちゃって知能)を突き詰めて言葉を理解しているように見せることと同様に、やはり本物とは言えないように思います。
本物の汎用人工知能を作るのなら、自動車を運転できたり将棋の指し手を瞬時に計算してしまうような高度な知能を作るのではなく、何の知識も持たない赤ちゃんの脳を目指すべきです。
人間の赤ちゃんは何の知識も持っていませんが、目の前のモノを見て触って、声や音を聞いて、いろんな物事(体の使い方や言語など)をどんどん学習していきます。
赤ちゃんには上述した二つの能力が備わっているからです。
- 外界の雑多な情報の中から、何らかの意味のある単位を抽出し認識する能力
- 経験を積むこと(トライ&エラー)で学習する能力
もちろん現状では、機械による画像認識、及び学習能力は赤ちゃんの足元にも及びません。
しかしここ最近、ニューラルネットワークを強化したディープラーニング技術の登場によって、新たな次元の認識能力と学習能力を備える人工知能が開発されつつあります。
参考Google、脳のシミュレーションで成果……猫を認識 | RBB TODAY
Googleが開発した人工知能が勝手に猫を認識(一般化)したというのは衝撃的な進歩です。
参考自力で歩き方を「学ぶ」二足歩行ロボット « WIRED.jp
転びながらも自力で歩き方を覚えるという、まさに人間の赤ちゃんを連想させる学習能力です。
これらの人工知能はまだ真の汎用性を持っているとは言えませんが、その認識能力と学習能力はこれからどんどん高度なものに進化する可能性を感じさせます。
もし、人間の赤ちゃんに近い認識能力と学習能力を備えた人工知能が誕生すれば、後は赤ちゃんがいつしか言葉を覚え、様々な知識を蓄え、歩き方も走り方も跳び方も覚え、自転車も自動車も乗れるようになるその過程を、そのままトレースさせることが可能なはずです。
例え何のデータも持たない状態であっても、その素地(認識能力と学習能力)さえ実現できれば。
人工知能の学習効率が果たして赤ちゃんの足元にも及ばないのか、それとも人間の脳を遥かに凌駕した効率性を実現するのか、それはまだ分かりませんが、一つ言えるのは、学習材料・学習機会は人間の比ではないということです。
赤ちゃんの学習能力はとてつもないですが、赤ちゃんの場合は目の前のものに学ぶしかありませんし、その時間も限られたものです。
しかし機械の場合は、命令さえすれば24時間学び続けます。そしてネット上の膨大なデータに制限なくアクセスすることが出来ます。
玉石混交と言えるネット上の情報を如何にして正しい知識として蓄えることが出来るか、それはやってみないと分からない部分もありますが、学習材料は無限にあると言っても過言ではありません。
結果的に、何も持たずに生まれたその人工知能は、言葉の使い方から専門知識までいろんなことを吸収して、まさに何でもできる汎用人工知能に育つ可能性があると言えます。
様々な分野で人間のどんな専門家よりも高度な専門性を持つことが出来るはずです。
しかもその学習結果をコピーし量産することが出来るとしたら、その進化はまさに爆発的です。
というわけで、もし、目の前のものを認識し学習する能力を備えた、まるで人間の赤ちゃんのような人工知能が実現したなら、あっという間に人間の知能を遥かに超える汎用人工知能が量産される可能性があります。
しかしまあ、まだまだ遠い未来のお話です。